こんにちは。
今日は、ドラえもんブログ。
略して「ドラブロ」のお時間です😎
子ども向けの単調なストーリーかとおもいきや、大人でも楽しむ事ができ、学ぶ事ができるドラえもん。
この素晴らしい藤子先生の作品を、出来るだけ多くの方と共感したいと思い、
このブログを始めました。
今日のテーマ
ドラえもんで学ぶ、戦争の歴史「学童疎開編」
ドラえもんのストーリーは、様々なテーマを取り扱っており、今回は「戦争」をテーマにしたものです。
作者の藤子・F・不二雄さんは、1933年生まれで、子どもの頃に戦争を体験しています。
そんな自分の体験談を交えて、戦争時の雰囲気をさらっとわかりやすく表現しており、楽しく歴史を学ぶ事が出来ます。
今回は、戦時中の子ども達の『学童疎開』についてをテーマにしております。
戦禍を避けるために、大都市の学童を地方都市や農村に、集団的また個人的に移住させたこと。
漫画情報(ドラえもん)
「白ゆりのような女の子」
<漫画情報>
ドラえもん 第3巻より
「白ゆりのような女の子」
*著者:藤子・F・不二雄
*発行所:小学館
*画像引用:Kindle
あらすじ「白ゆりのような女の子」
1.パパの戦時中の思いで
パパは、のび太くんとドラえもんに、戦時中の「学童疎開」をしていた時の体験談を話します・・・ 当時の日本の都市は、毎日空襲を受けていた。 子ども達は、両親と離れて遠い田舎に避難した。 これを「学童疎開」という。 毎日勉強どころではなく、防空壕の穴掘りや、畑作りの重労働を押しつけられ、食べ物もろくにもらえない、とても辛い日々が続いた。 ある日の夕暮れ時に川原にいると、肌の色が白く、髪は長く大きな丸い目、例えるなら「白ゆりのような女の子」が現れて、一言も話すことなく、僕にチョコレートをくれた。 とても自分の事をいたわってくれていることは伝わった。 その子は、そのまま夕もやの中に消えていった。 あの時のチョコレートの美味しさは、今でも忘れない。
2.白ゆりのような女の子に会いに行こう
のび太くんとドラえもんは、その女の子がどんな子なのかとても気になったので、タイムマシンで見に行く事にします。 そして、写真を撮ってパパにプレゼントしようということで、早速出発します。 行き先は、「昭和20年6月10日」 到着した日は、カンカン照りでとても暑い日でした。 そんな環境の中、子どものパパを見つけましたが、フラフラになりながらクワを持って、必死に畑を耕していました。 「手が痛い」と言うと、先生にビンタをされ、戦場の兵士のご苦労を思え!と叱られます。 「米英撃滅」「尽忠報国」「撃ちてしやまん」これが、先生の口です。 そんな過酷な環境が続き、パパはとうとう倒れてしまいました。
■「米英撃滅」・・・米(アメリカ)・英(イギリス)を、再び敵対は出来なくなるほど討ち滅ぼすこと。
■「尽忠報国」・・・国につくして、国からの恩に報いること。
■「撃ちてしやまん」・・・敵を撃つまで戦いを止めない
この言葉は、第二次世界大戦中の大日本帝国で、戦意高揚のスローガンとして多用されました。
3.パパがいない
パパが倒れている間、先生にみつかったらいけないと思ったのび太くんは、パパを木陰に移動させ、のび太くんは頭を丸坊主にしてパパになりすまし、畑仕事を代わりに引き受けます。 もちろん、秘密道具の「スーパー手袋」をつけていますので、あっという間に終わりました。 のび太くんは丸坊主になったので、とりあえず毛生え薬を頭にかけます。 そして、パパの元へ戻ると、そこにパパの姿がありません。 どこに行ったかを考えていると、「白ゆりのような女の子」が現れた川原だと予想して、すぐ向かいました。 そこにパパはいましたが、真っ直ぐ沖の方へ歩いて行きながら、「おかあさん、僕死んじまいたいよ。」と呟きます。
4.「白ゆりのような女の子」の正体は・・・
のび太くんは、話が違うと慌てふためきます。 白ゆりのような女の子も現れないし、どうしようか考えていると、急に毛生え薬が効いて、あっという間にロングヘアーになりました。 その姿を見たドラえもんは気付きました。 「色が白くて、髪が長く、大きな丸い目の女の子!」 まさに今ののび太くんの事です。 近くにたまたま女の子の服がかけてあり、さらにたまたまドラえもチョコレートを持っていたので、とりあえず、のび太くんは、女の子の格好で、パパにチョコレートを渡しました。 写真はとりましたが、パパの思い出は美しいままにしておこうと、写真は捨てる事にしました。
まなび
戦時中の子ども達のリアルな生活
小学校の授業で、子ども達の学童疎開については、さらっと勉強しますが、あまり過酷なイメージは無いように思っていました。
しかし実際は、子どもながらに重労働を課せられ、十分な食べものも無い状態で、過酷な生活をしていました、
そして、愛国心を持った先生の厳しい教えを受けながらも、必死に生きていたんですね。
当時は、誰もが貧しい状態だったので、仕方無かったのかもしれませんが、昭和20年というと、ほんの80年弱くらい前の出来事です。
今では想像も出来ませんが、そんな時代があって、今の平和がある。ということを、強く実感できるお話だと思います。
まとめ
簡単におさらい
・学童疎開のリアルな現実は、重労働かつ食糧不足
・白ゆりのような女の子の正体は・・・
という事で、今回は、
「ドラえもんで学ぶ、戦争の歴史「学童疎開編」」
についてのお話でした。
次回、乞うご期待!!🙂
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