今回は、「人生の価値観、時間の使い方」について紹介します。
- 毎日、仕事に追われている
- 効率化を極めたい
- 将来の為に、努力を続けている
- 休日に何もする事が無い
- 何かを我慢し続けている
将来の為に、我慢と努力の積み重ねで、理想の人生が手に入ると思われています。
ただ、毎日が大変で、仕事を早く終えて自分の時間を求めようと効率化を目指しますが、『時間』に勝つ事は出来ません。
『今』という時間を大切にする考え方を身につけた方が、豊かな生活を送る事が出来るのではないでしょうか。
参考書籍:限りある時間の使い方
書籍情報
<書籍情報>
限りある時間の使い方
*著者:オリバー・バークマン
*訳者:高橋 璃子
*発行:株式会社かんき出版
*画像引用:Kindle
【はじめに】
効率化を目指した結果
日々目の前のタスクをつぶしていき、家事まで時短家電を使い、効率化を図っている。
『これさえ終われば自分の時間が手に入る』と信じて頑張る。
そして、ゴールにはたどり付けないまま人生を終える。
そんな人生は寂しすぎます。
現代社会の生活とは
現代社会の生活は、『ベルトコンベア』のようなもので、1つの仕事を片付けると、また次に新しい仕事が流れてきます。
そして仕事を効率化すると、ベルトコンベアのスピードも早くなります。
効率化するにつれて、どんどん早くなるベルトコンベアは、残念ながらいつか壊れます。
これを機に認めよう
仕事も家事も、全てのタスクが終了し、『人生のやるべき事をスタートする日』なんていつまでもきません。
悪い事ではなく、『時間』との戦いに勝ち目が無いという現実を認めて、終わらないタスクとの向き合い方を変える必要があります。
人生の平均は “約4,000週間” 程度と言われており、40代に突入すると残り “2,000週間” を切ってしまいます。
あまりにも短い人生をどう生きるか、もう一度考えてみましょう。
【3つのまなび】
まなびを3つにわけてみたぞ!!
①効率化を捨てた生き方
なぜ効率化を求める様になったのか
18世紀産業革命の時代に、労働力を確保する為、『時給制度』が誕生し、沢山の労働者を時給で雇用する文化が始まりました。
そこから、時給という概念が世界に広がり、時間内にどれだけ効率的に仕事が出来るかが求められるようになり、 “仕事が早い人=有能” 、 “仕事が遅い人=無能” と考えられるようになりました。
そして、マルチタスクという考え方が一般的になり、忙しさこそがビジネスマンの美学となりましたが、時間に追われ続け、いつしか時間に支配される生活を誰もがするようになりました。
効率化を求めても終わる事はない
仕事はやってもやっても終わる事はありません。
次こそ終わりだと思い続けますが、結局終わる日はやってきません。
しかし、終わらないのはやり方が悪いと思い込んだり、誰かをがっかりさせると考えて、どうにか時間をかけて終わりを求め、途方に暮れる日々が続きます。
そろそろ気付きましょう。全てこなすのは不可能です。
どれだけ仕事が早くなっても、仕事が回ってくる量が早くなって、更に自分が追い込まれます。
今こそ、『全部出来るという幻想』を捨てましょう。
私生活まで効率化は必要!?
様々な家電やサービスの発展で、私生活も効率化されております。
時短料理にまかせて大好きな料理をしなくなり、赤ちゃんのだっこは電動ゆりかごに任せて、年賀状は気持ちのこもっていない作成代行サービスへ発注、等々。
大切なものはもっと時間をかけていいのではないでしょうか。
『無駄』という言葉を恐れて、大切なものを見失っている気がします。
効率化を捨てて、豊かな時間を楽しむ事を思い出してみてはどうでしょうか。
②『今』という時間の考え方
『今』を大切にする考え方
私事ですが、年末の慌ただしいさなか、流行中の新型コロナウイルスに感染してしまいました。
ひどい高熱と喉の痛み、悪寒、そして咳については1ヶ月程度続きました。
感染中、仕事自体は強制的に有給休暇となり自宅療養しておりましたが、電話対応や持ち帰った会社パソコンでリモートワークを続け、周囲に迷惑をかけないように出来る限りの事をやっていました。
そうすると、コロナウイルスの症状かわかりませんが、メンタルをやられてしまい、もう何もしたくないという鬱状態に陥ってしまいました。
また、ひどい咳が続く中で、呼吸がしずらい時期があり、その時は一人でいると急に真っ暗で誰もいない独房に入れられた感覚に陥り、せまい場所に恐怖を覚える時期がありました。
本当に自分のメンタルの弱さに情けなさを感じました。
『生きているだけで幸せ』なんて言葉を耳にすると、どこか他人事の様に聞こえてしまいますが、健康に過ごしている『今』は本当に大切な時間だと気付く事が出来ました。
体験や選択を自由に出来る環境
今まで時間は永遠に続くと考えていました。
毎日を当たり前の様に過ごし、普通の生活をして、楽しい事があれば笑い、イライラする事があれば怒り、現代人は自由に選択と体験をしています。
しかし、そもそも1つ1つの体験自体がありがたいことに気付くべきです。
先ほどの新型コロナウイルスを例にすると、感染後に症状が重症化して元の生活に戻れなくなった人は数万人単位でいます。
自分が今している選択と体験を出来なくなった人が現実にいます。
時間を使って何かを出来るだけありがたい事です。
将来の為に、『今』を捨てるという罠
結論からいうと、その将来はいつ!?というお話です。
幼稚園児は小学生に上がる為の準備、小学生は中学生に上がる為の準備、中学生も高校生も大学生も同様に将来の準備です。更には社会人になっても、出世や老後の準備等々、結局将来というのはいつどこにあるのでしょうか。
自分の子どもにも、将来の為にといって、いろんな我慢をさせて教育をする事もありますが、本当にそれで良いのでしょうか。『今』を楽しんだ方が良いのではないでしょうか。
しかし、一方で『今』を楽しむのも簡単ではありません。
無理して『今』を楽しもうと考えるのは、眠たくないのに眠ろうとして余計目が覚める様な感覚に似ていると思います。
また、昔から行きたかった場所に行くと、「ネットで見た写真と同じだ・・・」くらいの感覚で終わってしまうこともあるかと思います。
何気ない毎日が一番幸せなのかもしれません。
③豊かな余暇の過ごし方
余暇に理由が必要と感じてしまう
余暇をとるにも、いつしか理由が必要になってしまいまいした。
スキルを上げる為に読書、経験値を上げる為の旅行、人脈作りのパーティ等々、どこか有意義に使わないとダメという風潮があります。
全員一緒に休みならまだしも、有給休暇を使う場合、一人だけ休むのにプレッシャーを感じてしまい、強制的にパソコンのスイッチを切ってもらわないと休む事すら出来ない。理由も無いのに休むなんてどんな風に見られるかわからない。なんて思ってしまいます。
常に目標を追う事が正しい?
いつしか、余暇こそ目標に近づく為に使う時間。成功者こそ、無駄な時間を無くしコツコツ将来の為に頑張る。そんな考え方が一番の正義という雰囲気があります。
もちろん、目標を追う事は重要です。豊かな生活をするために成長は欠かせません。
しかし、目標というのは追っている時は達成出来ず不満になり、達成してしまうと、目標がなくなりまた不満になります。
目標を追う事だけに照準を合わせると、不満が続く状態に陥ってしまいます。
本来、余暇というのは何もしなくて良い。むしろ無駄を楽しむくらいが豊かな気持ちになります。
あえて目標なんて持たず、得意不得意も関係無い、いわゆる『趣味』を楽しむ時間を持つ事が豊かな時間を送るヒントになりそうです。
ちなみに私の場合は、キャンプで目的も無く自然に囲まれて、テントを立てたり、火を起こしたりと、無駄や面倒臭さを楽しむ時間を作っています。
どうせ思い通りになんてならない
それでも余暇を無駄にするなんて出来ないという人は、よく考えてみてください。そもそも、自分が計画している思い通りの人生になんてなりません。自分自身もそうだと思いますし、周りにそんな人もいなくないですか?
予定を立てても大体少し時間が足りないものです。今日は3時間使えるなと思っても、3時間使えたかどうかは3時間後にしかわかりません。
未来に向かって努力を怠る事を進める訳ではないですが、未来の計画は単なる “考え” でしかなく、実際に起こる現実を受け入れる必要があります。
思い通りにはならない。
自分の目指す未来は、大体差し伸べた少し先にある。
そんな余裕も必要ではないでしょうか。
まとめ
簡単におさらい
- 効率化という考えを捨ててみる
- 『今』という時間を改めて考える
- 余暇の過ごし方を変える
ということで、今回は、
「時間がある前提を疑い、全て出来るという概念を捨てる」
についてでした。